LOG IN

理想と現実のはざまで

by SAKI.S

何かを書きたくなる気持ちにさせるブログツールってすごい。背景に白い文字がふわ~って浮かび上がってくる、それが見たくて、快感で、だから書きたくなってしまう。goatの威力恐るべし。

12月に入った。私は一年の中で12月が一番好きだ。今年も一年終わるんだという、あの感覚がなんだか気持ちを高揚させてくれるのである。だからお正月よりも大晦日が好き。12月に入るとクリスマスソングを聞く。マライアキャリーのクリスマスソングアルバム。定番すぎるけれど、毎年これじゃないと師走感(クリスマス感ではない)が出ない。クリスマス当日よりも、それまでの3週間の方が好き。お正月よりも、大晦日の方が好き。遠足を待ち望んで眠れない子どもと一緒である。

さて、話は唐突に。あなたは現実的な人ですが、それとも理想を追い求める人ですか。現実的な人というのはこう、白馬の王子様なんて現れないとはなからわかっていて、25歳になったとたんに結構相談所に登録するような女性である。理想を追い求める人というのは、白馬の王子様なんてそんなのもうこのご時世恥ずかしいとか思いつつ、それでも自然に出会って恋におちて、お付き合いしたいなと待っているような、そんな女性である。(あくまでもたとえです。)だいたいの人はこの中間である、というかその両極端を行ったり来たりする。もちろん私もそうである。

中庸であることについて、最近あまり聞かないように思う。もとは儒教から来ている、歴史の長い概念である。すべてまあ、ほどほどがいいよねなんて言うと、それを言っちゃあおしまいだよ~となるからだろうか。のび太くんの懐かしき台詞とともに。

理想がないと生きられない。少なくとも私はそうだ。こんな社会になってほしい、こんな自分になりたい、こんな人生を送りたい、など、もう欲のかたまりである。個人と多様性がもっと尊重される社会になってほしい、ぱっと行動できる自分になりたい、人文学やアートにずっとかかわっていたい。

一時期、社会に対してくらーい気持ちになっていたことがある。なんでこんなに多様性が尊重されないんだろう、どうして人文学やアートは周辺に追いやられているんだろう。自分のいる世界がはじっこにあることを知ったとき、人は社会に対して憤慨する。どうしてそうなの?と。そして自分の理想とする社会になればいいのに、と思う。多かれ少なかれ、あなただってて思うことがあるでしょう?

でもまあそれでも、このろくでもないとされる社会で生きていかないといけないし、そもそもそんな社会をつくっている人のなかに自分もいる。一人で嘆いているだけじゃ社会は変わらない。そして社会を嘆いているひまもないくらい、日々を生きないといけない。社会は自分の都合のいいようには変わらない。一気に変えようと思ったら、それは独裁者と何ら変わらない。

かといって、しょうがないよねと諦めてたら、社会は変わらないままだ。社会だけじゃない。自分だって、好きな人だって、人生だって、いつだって、理想と現実の間を行ったり来たり。こうなればいいな、そんな理想は朝思い出して、その日中は忘れているくらいがいい。

結局のところ、はざまでしか生きられないのだ。その間で激しく行ったり来たりを繰り返していると、メンタル的にきついことがある。身体も疲れる。でも同時に、上手く落としどころを見つければ、最も楽な生き方でもある。

自分の中で落としどころを見つけること。これさえできればいいはずなのに、それがどこにあるのかは、どこにも書いていない。あるのは、どちらかに寄れという、極端な物言いである。どっちか片方に寄りすぎているときはキキメを発するけれど、はざまで揺れているときに触れると、逆に毒になる。

中庸。落としどころを見つけること。理想と現実、どちらも意識すること。言葉にするとあっけないことほど、やるのは難しいのは、誰かを愛するということにそっくりだ。


SAKI.S
OTHER SNAPS