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今やっていることに価値があるかどうかって、それを必要としている人の数は関係ないんじゃないか

by SAKI.S

こんばんは、沙妃です。goatのブログでは、いつも背景の写真をストックされている中から選んでいます。派手で綺麗…!ってかんじではなく、さりげない日常を切り取ったやわらかい雰囲気の写真がたくさんあって好き。

今日もつらつらと写真を見ていたら、こんな向日葵の写真を発見。季節が180度違うけれど年で一番寒いこの時期だからこそ、なんだかすごく向日葵に惹かれました。夏の真っ青な空ともくもくした白い雲に映える、黄色い向日葵。180度離れた真夏が恋しい(去年の夏は夏バテで食欲がなかったけれど)。

さて、本題。何が大事かって、それを必要としている人数は関係ないんじゃないか、という話。

私の弟は医者になり、私の仲がいい友人は助産師になる。医者や看護師など医療従事者って、人の命を救うからどんな人にも求められる職業だ(これからAIが進んでどうなるかわからないというのもあるけれど)。

必要とされているのはもちろん医療だけじゃない。インフラ系ーー電気とか水道とかガスとか電車とかーー、警察官や消防士、教師など人の生活を守ったり教えたりする人。農業など、食べ物に関わっている人。考えるとまだまだたくさんありそうだ。

私は上記のような、誰にでも必要とされる仕事、たくさんの人が必要としていることとは無縁のところにいる。特に大学で文学部に在籍し、卒論を芸術論で書き、アートや人文学に関わっていたいって思っているといつも思う、それって誰かが必要としているんだっけ、と。

でもなんだか最近、どんな仕事、というかやっていることであれ(人を傷つけたり害を与えたりしないかぎり)誰かしらが必要としているから存在しているのかなと感じた。考えた、思った、というより、家までの一本道をてくてくと歩いていたらふっと頭をよぎったのだ。

小説なんて読んだって、絵なんて見たってなんの腹の足しにもならないし、私の気持ちをすごく救ってくれた作品だって、他の誰かが読めば/見たらただのゴミみたいなものかもしれない。

でもそれでも、一人でも誰かがそれを見て「生きていてよかった」と思うかもしれないんだったら、他の72億9999万(以下略)もの人が必要としていなくても、その作品は「そこにあるべき」なんじゃないか。実際私も、アメリングという画家の「夢に浸って」という絵を数年前に見たとき、よくわからない衝撃を受けて「生きていてよかった」と思ってしまったのだ。

それがきっかけで私は卒論を芸術論で書いたし、アートに何かしらで関わっていきたいなあ、と思っている。

何が必要とされるかなんて、人によって違うとしたら、やっぱりいろんなものがひしめき合っている方がいい。私が多様性なるものにこだわるのも、一つそこにあるのかもしれない。

それでは、また。

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