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コーヒーと紅茶と文字と

by SAKI.S

コーヒーカップなんてものを背景にしつつ、めっきりコーヒーを飲まなくなった。
おしゃれなブックカフェというのは、豆から挽いたコーヒー片手に、というのが定番になっているけれど、紅茶じゃだめなんだろうか。

そう、私は最近、めっきり紅茶派なのだ。

紅茶と本、だと気取りすぎなんだろうか。18世紀のイギリスの貴婦人とコルセットが浮かぶ気がする。

確かに現代のシンプル・スリムな時代には合わない。かたやコーヒーはどうだろう。お湯にさっと溶けるインスタントコーヒーも、安っぽすぎず気取りすぎないところがいいんだろうか。カップもシンプルなものが似合う。

この間98円で紅茶のティーバッグ20個入りが売っていたのでへえ〜安い、試してみよう、と思って買ってみた。確かに飲めなくはないし、もちろん紅茶の味がするんだけれど、なんといっても薄い。香りもない。鼻オンチ=味オンチの私でもわかるくらいの、薄さである。

かといって毎朝毎晩(私にはカフェインがちっともきかないので夜でもガバガバ飲む)10パック1000円2000円の紅茶とか、茶葉からいれる紅茶を飲むわけにはいかない。だいいち、そんなんだったら気兼ねなく飲めない。

気兼ねなく飲めるというのが、家で飲む飲み物のいいところなのに。

とここまで書いておきながら、私は紅茶の種類や名前や産地などに全然詳しくない。最近赤ワインも美味しいなあと思いつつ、イタリアンに行っても美味しかったワインの味は覚えているものの、カタカナが並ぶ名前が頭に入ったことはない。注文するときも、いつもたどたどしい口調になってしまう。

紅茶の話をするつもりでは全くなかったんだけれど、goatを開いて背景をなんの写真にしようかなあとみていたら、ふっとこの画像が目にとまったので、内容もこんなものになった。たまには、写真をきっかけに何かを書くのもいいかもしれない。

ほんとうはなにを書きたかったんだっけ。

そうそう、フォントについてだった。

最近、文章を読みたくなるかどうかは「そのページのデザイン」にもよるということを、ひしひしと実感している。行間、フォント、一行の長さ、そういったもので決まってくるのだろうか。

私はつかれたとき、文字のかたまりが読みたい、となるんだけれど、その心地よさはおおいに文章のデザインによっている気がしてならないのだ。

と思い始めると、無性にフォントが気になり始める。そういえばgoatのフォントは太めだよな...と思ったんだけど、こうやって写真を背景にもってくるデザインだからかもしれない。

文庫だと古典新訳文庫が好きだけれど、大きめの文字にちょうどいい行間、まるみをおびた文字で読むと、ちょっとカタイ内容も読もうかな、という気になってくるからすごい。

こうやって文章が書きたくなるのも、ひとえに自分が「文字のカタマリ」を見たいからかもしれない。昨日フォントについての雑誌をみていたら胸がきゅーっとなったというか、むずむずと落ち着かなくなったんだけれど、なんだか好きな人に出会ったりかわいいペットをなでているときのかんじってこんなんだよな、と思い出した。私は文字のヘンタイだったんだろうか。

生まれ変わったらなりたいシリーズ、というのがあって、靴屋の職人や大正時代の女学生やコアラっていうのがあるんだけれど、「文字をデザインするひと」というのもそのなかにめでたく仲間入りした。

え、今世でできるだろう?うーんどうなんだろう、ゴシックと明朝しかわかっていないので、ひとまず勉強してみたいな、と思う。文字って奥が深い。言葉の意味が脳内に響くだけでなく、視覚にもダイレクトに訴えてくるなんて。

ああやっぱり、1日文字を眺めていたい、ってね。

それでは、また。

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