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「何者」かになれない

by SAKI.S

昨日せっかく車を借りて出かけたものの、iPhoneのミュージックにはクラシックやらドイツ語やら(入れたことに満足してあんまり聞かないやつ)しか入っていなかった。車内スピーカーがいいから、カラオケにぴったりなのだ。

仕方ないのでYouTubeで音楽を流す。映画の予告をだーっと流していたら、『何者』の予告が出てきた。就活生が主人公の映画。音楽と映像がマッチしていて本当に上手な予告だと思う...上手すぎて本編を見る気が失せたくらい(結局見ていない)。

そんな『何者』の予告を再び見ながら、何者かになりたくて、何者にもなれなくて、みたいなことをふと思う。

大学生のうちは一応大学生という肩書きがあったけれど、卒業したのでそんなものは失ってしまった。なくしたらなくしたで、自分が学生であったことをあっという間に忘れている。就職しなかったので肩書きを失うことは少し怖くもあったのだけれど、失ってしまえばなんてことないんだな、と思う日々。

と同時に結婚をしたけれど、いまどき「○○さんの奥さん」というのはあんまり肩書きにならない。さて、じゃあみんながどこに肩書きを求めるかというと会社であり仕事である。そのみんなに私も含まれている。

肩書きがほしくて、就職する人ってきっとたくさんいるんだろう。肩書きがほしくて、仕事をがんばる人もたくさんいるんだろう。

仕事がんばらなきゃな〜と思うとき、どこかに焦りがあることに気づく。早く○○やってますって名乗れるようになりたい、自分が「何者」なのかはっきりさせたい、と。ふわふわしたこのわたあめみたいな状態から、抜け出したいと。

環境の変わり目の今だから、余計にそう思っている自分がいる。早く、何かになりたいのだ。

でもきっと、その「何か」になったところで「何者」かになれるわけではないんだろう。大学に入学したところで、そこで自ずから学ばないとそこには何の意味もなかったように。

就職したところで、それで「何者」かになれるわけじゃない。自分で仕事をつくったとしても、それで何かになるわけじゃない。

頭では、わかっているんだけど。

どうしてそれでも、「何者」かになりたいと思ってしまうんだろう。

たぶん、そんなことが気にならないくらい、思いつかないくらい目の前のことに没頭しているのがいいんだけれどね。何かになりたくて、目の前のことをしているわけではない。でも、日々過ごしていると、ついつい何かになる、ことの先を忘れてしまう。

「何者」の先を見ること、見ていることを忘れないこと。忘れそうになったら、その都度思い出せばいい。







SAKI.S
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