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自分の言葉で語る、というけれど

by SAKI.S

自分の言葉で語りなさい、あの人は自分の言葉でしゃべっていない、などなど、誰かの言葉をそのまま借りてきたときに、使われる言い回し。

私はこれを目にするたびに、耳にするたびに、なるほどなあと思いつつ、どこかに引っかかりを感じる。

そうは言っても、言葉自体が、自分が”外”から身につけたものじゃないか、と。

屁理屈を言っているだけかもしれない。でも、言葉は誰かに通じるから言葉となる。
自分しか使っていない言葉は、その時点で言葉ではないのだ。

どこかで聞いた言葉や意見、言い回しは、いったん自分のなかで発酵させて、腑に落ちて、自らの経験に基づいていると、”自分の言葉”となる、とも聞く。

納得すると同時に、まだ他に、”自分の言葉”に違和感を抱く自分がいる。

そんな矢先にふっと思ったのが、”自分の言葉”はすなわち”自分の文体”をもつことなんじゃないかということだ。

村上春樹はその最新のインタビュー本『みみずくは黄昏に飛びたつ』にて、最も大事にしているのは文体だと話していた。

私はこれは、文体だけでなく、話し方、にも応用できると思う。

リズム、テンポ、一文の長さ、トーン...そういったものがあわさって、自分の文体(話し方)ができる。

前に、何で書くかで文章も内容も変わってしまう、というエッセイを書いた。

パソコンが変われば、ペンが変われば、書く場所が変われば、きっと紡がれる文章も、すこうしずつ違うんじゃないか。

文体も、内容にすごく影響を及ぼす。内容があって文体があるのではなく、文体があるからこそ、内容が出てくるのかもしれない。

書くことを続けていって、少しずつ自分の文章のリズムやテンポがつかめてきたら、そのときには、「自分の言葉」で、なにかを語ることができるのかもしれない。

そんなことを考えるようになってから、ますます書くことを続けていこうと思った。まだ、私の文体はぶれぶれだ。「ブログはこうやって書くといいよ。タイトルはこうつけるといい。」みたいなものに影響を受け、少し真似もしてみたけれど、しっくりこないときがある。

そういった、しっくりこないものは、思い切ってやめることにした。

完成された文体なんかなくて、文体は少しずつ少しずつ変わっていくのだろう。
それにあわせて、書く内容も言っていることも少しずつ変わっていくのかもしれない。

テンポ、リズム、トーン。そういったものを掴むために、最近しばらくやっていなかった、小説の気に入ったフレーズをノートに書き写すということを再開しよう。

パソコンで書いてばかりいて、どうも言葉が、文字が、つるつるすべっていく感覚が出てきたから。

今は、内にこもる、なにかが積もっていく時期なのかもしれない。

内容ではなく、使う言葉ではなく、文体を意識してみる。すると、新たな発見もあるかな、という予感を抱きつつ。

それでは、また。

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SAKI.S
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