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カズオイシグロとノーベル文学賞

by SAKI.S

ツイッターをふと開くと、カズオイシグロのノーベル文学賞受賞のニュースが飛び込んできた。

彼は私のなかで村上春樹と並んで二大好きな小説家なので、とても嬉しい。

カズオイシグロの作品に初めて出会ったのは、大学が始まったばかりの英語の授業だった。第1作目の『遠い山なみの光』だ。英語で読んでもおもしろいなあと思えた作品で、どことなく不気味で、いつも霧がかかっているような印象をもった。

カズオイシグロ自身にはまるきっかけは、その半年後くらいに読んだ『私を離さないで』。久しぶりに一気に読んだ作品で、初めて読んだこのときの衝撃はよく覚えている。夫(当時は彼)と待ち合わせの時間になっても、駅で落ち合ってからも、読み終わるまでは本から目が離せなかった。

これも文学の授業で扱ったもので、いまだに私のなかで完全には腑に落ちていない作品だ。良い意味で「消化しきれていない」作品に出会えたのは、すごく私のなかでは幸せな読者経験である。

個人的に好きなのが『わたしたちが孤児だったころ』で、読み終わったあとまるで自分も孤児だったかのような何とも哀しい気持ちが残ったのを覚えている。読み返したい作品ナンバー1。

『充たされざる者』は最も実験的な作品だと思う。「隣に座っていた女性が突然自分の妻だったことを思い出した」というような、「今、ここ」と「いつか、どこかで」が密接に絡み合って、ぴったりと隣り合っている。その不気味ででもおかしさが香るイシグロワールドに入り込んだらなかなか戻ってこれないだろう。

どの作品も、「信頼できない語り手」が出てくる。彼らは記憶があいまいな過去を、さも昨日起こった出来事のように語る。決してミステリーじゃないのに、ドンデン返しが起こるように感じるものも多い。読み進めるうちに、何が実際に起こったことで、何が起こらなかったことなのか、その境界線が曖昧になってくる。まるで、どんどん濃くなる霧の中を歩き続けるようなかんじだ。

きっと、私たちが普段足をつけている「確固たる世界」は全然確固たるものじゃなくて、少し立ち止まって地面の奥を覗き込んでみるとたちまち崩れ落ちるような、極めて不確かなものなんだろう。

そのことを、決してネガティヴな意味合いではない方向で描いてみせるカズオイシグロが好きだ。そうでもしないと生きていけない人間の弱さと、そうやって生き続けていく人間の強さとしたたかさを同時に見るような、気がして。

ところで、好きな作家が受賞すると嬉しい反面、これからどっとファンが増えるのか〜とどことなく寂しくて悔しい気持ちになっている。なるほど、ずっと応援してきたアイドルが出世すると人はこんな気持ちになるのか(いや、カズオイシグロはすでに有名で評価の高い作家だったけれど)。

何はともあれ、おめでとうございます。これが誰かの読むきっかけになるといいな。

それでは、また。


SAKI.S
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