LOG IN

「不毛な話」のなかにあるもの

by SAKI.S

最近、レイモンド・チャンドラーの『ロンググッドバイ』を読んでいる。

一度読んだきり、あらすじをすっかり忘れていたので、2度目も物語がどうなるかわからず、どきどきしながら読んでいる。私立探偵が主人公のハードボイルド小説で、でも推理小説ではなく、その雰囲気はいなくなった人を探しにいく村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』や『羊を巡る冒険』に近い。

いや、近いというか、村上春樹がチャンドラーの『ロンググッドバイ』に影響を受けたらしいんだけれどね。

いなくなった夫を探してくれと、依頼人に頼まれて心あたりがあるところを探しにいくんだけれど、そこでなんの成果も得られなかったり、ひどい目にあったりして、はたしてこんなことをしていて意味があるのだろうか...と主人公が考えるシーンがある。

このシーンを読んで、私はふと、カフカの『城』やオースターの『ガラスの街』や、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』などを思い出した。共通するのは、今やっていることが目的にたどり着くためにやっているかわからないという、不毛さと不条理さ。

そしてこの不毛さと不条理さを抱えながら、物語はどんどんわけのわからない方へと進んでいくのだ『城』の主人公が永遠に城にたどり着けないように、それはさながら、巨大な迷路をぐるぐるしているかのよう。

村上春樹はカフカにも影響を受けたとどこかで書いてあったから、カフカ、チャンドラー、村上春樹は、不毛さと不条理さ、というテーマ(めいたもの)で脈々とつながっているのかもしれない。

さて、そんな小説を読んでいて気が滅入らないのかって感じだけれど、これが違うんだなあ。気が滅入るわけではなく、むしろ、どうもそんな小説が好きなんだ。

人生なんてそんなもんだよね、という諦観ではない。小説の主人公に比べたら私の人生上等だわ、という優越感とも違う。こういうイケ好かない出来事、仕事したり家庭築くと多いよね、という共感でもない。

じゃあなんなんだろう...と、『ロンググッドバイ』を読みながら、考えている。

そんな不条理な世界ながら、それでもやっぱり物語の主人公は生き続けている。私たちもまた、死ぬまでこの不毛で不条理な世界で生きていかないといけない。そもそも人生に対する目的(目標)があって、それに向かって一直線で生きられることの方が少ない。目的(目標)自体を見失ったりすることだって多々ある。

たぶん、人生そのものが、巨大な迷路みたいなもので。そのなかで、ときたま仕事の依頼人に感謝されたり、友人とギムレットを飲んだり、太平洋のはてで壮大な月を見たりする。人生(本の物語)全体で見たら不条理で不毛かもしれないけれど、毎日(本の1ページ)だけ切り取れば、案外悪くない日だってそこにはある。

小説全体は不条理だからこそ、そういう『案外悪くない日』にはあたたかい火が灯っている。チャンドラーとか村上春樹とかカフカとかオースターを読んでいて、そういうどこかあたたかく、勇気づけられる気持ちになるのは、そういうことだからかもしれない。

『ロンググッドバイ』を読み終わったら、また考えは変わるかもしれないけれど。小説という物語も、人生という物語も、全体として見ちゃうから「不毛で不条理」なだけで、毎日という細部を見れば、そうでもないんだよきっと。ってことは、これはアドラーや仏教の「今の生きる」につながっている話なのかも。

それでは、また。

*似たようなテーマのエッセイ



SAKI.S
OTHER SNAPS