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おばあちゃんと短歌

by SAKI.S

この年末年始は、田舎の祖母のところへ行っていた。一人暮らしの祖母は今年骨折しており、いつもより料理や掃除やお正月準備など手伝えて、ある意味奇しくも良いタイミングだったのかもしれない。

玄関に生けるお花も、あんたやりぃと言われ、庭にある花をジョキジョキ取ってきて、祖母におしえてもらいながらやってみた。

そうだ、そろそろこういうことを、おばあちゃんが元気なうちに教えてもらわないとなあ、とひしひし思う。

終わってコタツにはいって休んでいたら、おばあちゃんはどこからか古いノートを持ってきて、何やら書いていた。私が生けた花のことを短歌にしたという。

聞けば、50歳のときに、日々のことを短歌にし始めたらしい。実に34年!毎日ではなくて、私や弟が生まれた日のこと、民謡の発表でウィーンに行ったときのこと、すごく悲しいことがあったときのこと、そしてこの日みたいにちょっと特別なことがあったことを書いているみたいだ。

そんなおばあちゃんの歌を聞きながら、私はふと、これが「生活とアート」の一つなのかなあと思った。

最近、アートという言葉がしっくりこないので、表現、という方がいいかもしれない。

何度かこのブログに、生活に根付いたアートはどういうものなのかということを書いていたけれど、私のなかでこの、おばあちゃんの日々を短歌にする行為が、すごく腑に落ちたのだ。

短歌だからアートだ、と言いたいわけではなくて。なんだろう、誰かに見せるわけでもない日々を、誰かに見せるわけでもない短歌にする。日々を、短歌という形で表現する。祖母はそれを、アートだとか思わずに、自分のためにしているんだと思う。

誰かに見せるわけではない日々を、でも自らの手で、何かしらの形を与えて表現すること。それは、自分の生活を実感することであり、認識することであり、喜びを与えることなんだと思う。

いつも思うけれど、何かしら頭のなかに言語化されていない考えがあると、思わぬところでふっと何かと結びつくものだなあ。

短歌、私も挑戦してみようかな。

これを踏まえて、また「生活とアート」(いや「生活と表現」に変えようかな...)についてぐるぐる考えている。

それでは、また。

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