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八方美人にさようなら

by SAKI.S

いやあ、子どものころは八方美人だったなあ。

なんて、大人になってからというもの、ちょくちょく思っている。

子どものころは引っ越しに合わせて二、三年に一度は転校していたので、元気で明るく、誰に対しても優しく、フレンドリーで、話しかけやすい雰囲気を醸し出すことは、つまり八方美人でいることは、なんというか生きのびる術、みたいなものだった。

そうありたい、と思ったというよりは、自然とそうあることを、選び取ってたんだと思う。

おかげで転校が多かったわりには、友だち関係で悩むことは少なく、その点はすごく恵まれていたと思う。まわりも転校生が多かった、というのも大きいけれど。

さて大人になって、気がついたら八方美人じゃいられなくなってるな、なんてふとした瞬間に思うようになった。人から嫌われるのは怖いし、できることならみんなと仲良くしたいって正直なところは思うのだけれど、如何せんそれじゃあ、うまくいかないというか、自分が苦しくなってしまう。

自分で選択することが増えて、自分が心地よいと思う働き方や、休み方や、生き方や・・・というのが増えていく一方で、そうではない選択をする人から嫌われたり、気に入られなかったり、ということはどうしても出てくる。

それでも、相手の期待に合わせて、好かれようとして、嫌われないようにと、過ごしていたら、今度は自分が疲れてしまう。当たり前のことなんだけれど、私は長らく「八方美人でいること」が生きのびる術でもあったので、なかなかその考えーー全員に好かれようとしないことーーが身につかなかった。

今でも、正直そんな反応を示されたらぐっさり傷ついたりしてるんだけれど、それでも時間が経って回復すると、仕方ない、と思えるようになった。理解してもらいたい人に理解してもらえればラッキー、くらいに考えるようにしている。

あと、全員同じように接する、なんてもう、体力的にも時間的にも無理だ。大切にしたい人を大切にすること、大切にしたい人を見失わないこと。自分だって他者なんだから、大切にしたい人と同じくらい、大切に扱うこと。

八方美人は性格だからしょうがない、って思ってたけど、生きのびる術のひとつだったんかな、と思うようになってから、徐々にネガティブな反応をされたりスルーされたりすることに対して、どうこうしよう、って思わなくなってきた。仕方ないことは仕方ない、と諦めること。それもまた、ひとつの生きる術なのだから。

それでは、また。

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