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原点、って、すぐに忘れてしまうから、

by SAKI.S

前回の更新からしばらく経ってしまった。はっと気づくと八月は終わり、今日は肌寒いくらい。

最近はウェブデザインの勉強ばかりしている。大変地味な日々である。地味すぎて書くことがないくらい地味である。それでも、勉強したことは確実に身につき、あんなにわからなかったことが、今やなんでわからなかったんだろう?に変わっているから、つくづく勉強って、右肩上がりに身につくんじゃなくて、ある一定まではずっとぐるぐる、同じところにいるけれど、その一定を超えると一気にぱああっと視界がひらけたように、点と点が結びつくもんなんだなあ、と、大学時代を思い出す。

学びは、本質的に楽しい。

さて、そんな地味な日々をぐるぐるしているので、なんだかまわりがぐーんと進んでいるように感じ、自分ばかり同じ場所にいるような、と比較して落ち込んでくる。

あー、これ、だめなやつ。自己嫌悪に陥って、勝手に落ち込んで、ますますぐるぐるするやつ。

って、頭ではわかってるんだけどね。

そういうときって、「そもそも私、何がしたいんだっけ?」みたいなところを忘れているので、さて原点に立ち返ってみる、ようにしている。

何になりたいとか、何を達成したいとかは、あまりなくて。どちらかというと具体的な夢がない方だし、長い間認めようとはしてこなかったけれど(やれやれ)、大変飽きっぽいし面倒くさがりだ。

じゃあ原点ってなんだろう、っていうと、それはいつも「多様性」で。「個人の尊厳と社会の多様性が少しでも上積みされる」ように、一個人としてできることをやる、というのが、悩んだときの私の支えになっている。

これはなんというか、夢とは違うけれど、信念というか信条というか。結局、人はこういった支えなしには生きられないんだと思う。

凝り固まった、近視眼的な自分の目線を、遠くへと飛ばしてくれる、もの。

多様性ってなんだよ、といつも思う。綺麗事でしかないと、言われがちなこと。でも綺麗事じゃないし、相容れない文化、社会、他者も排除せず、たとえ良い意味で共生はできなくとも、存在を認めるということ。

なんでそれが個人的テーマなのかといつも思う。というのも、自分自身が差別されたり迫害されたりということはなかったからだ。

むしろ、十代までの海外生活で、常に「外国人」というマイノリティだったのにも関わらず、これといった差別にあった記憶はない。もちろん小さな、悲しいことはたくさんあるけれど、圧倒的なものはない。

恵まれていた、と思う。受け入れられてきた、と思う。ひるがえって、自分はどうだったかというと、そんなことはなかった。排除したり差別したりはない。でも、日本人というアイデンティティに固執するあまり、自分のアイデンティティを守ろうとするあまり、異質な文化や価値観、他者を積極的に受け入れようとしなかった時期があった。

そんな自分を守ろうとするあまりの狭量さに、いやというほど気づき、それなのに自分は受け入れられてきた、ことへの罪悪感。いたたまれなさ。

そういった、できなかったこと、受け取ったのに、次へ渡せていないこと、という、良くも悪くも負の遺産が、私を「多様性」という個人的テーマや信条に駆り立てているんだと思う。

ここまで書いて、原点に立ち返る。今やっていることの先に、原点に通ずるものがあるか。目先のことにとらわれて、見失っていないか、やたらめったらまわりと比べていないか、と。

受け取ったものを次へ渡すために。そんな大きな円・縁のなかで、自分はある意味生かされているんだと。

それでは、また。

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